2015年5月25日月曜日

発足と歩み

近頃は研究会の多くが学会となり、さらに学会はシンポジウムや分科会の数を増やして、焦点の掴みにくい巨大集会へと移行する傾向がある。急増する学術情報の量からみて、この流れには逆らえないものがあるが、その中にあって発足当時のささやかな運営方針を堅持し、小さな研究集会のよさを残している例がないわけ ではない。

一年余りの英国滞在を終えて帰国した1961年の秋、当時の私の職場、農水省畜産試験場繁殖部(千葉市)に理学部生物系の毛利秀雄先生(当時東大教養学部助教授)が現れた。私とほぼ同じ時期に海外にいたそうで、スエーデンとイタリアの研究所を離れる前に英国に立ち寄った時、日本人研究者のうわさを聞いたのだ という。私自身、畜産以外の分野で国内ではどういう人が精子の仕事をしているのか、専門的な知識も関心も薄かった頃のことである。毛利先生の来訪目的は、領域を超えた精子の研究集会が日本にないので、一緒につくる気はないか、との打診であった。当日、頂いた文献別刷から、この方はウニ精子の研究者で、すでに国際舞台で活躍している若手のホープだと思った。大事なことだと思ったので、その場で賛同し、当面の仕事として先ず農学部の関係者にあたり、そのあと医学部の方へ相談をもちかけることを約束した。

畜産分野は繁殖、育種とも人工授精技術抜きには語れない時代になっていたので、精子を扱う人の数に不足はなかったが、いざ理学部生物系のグループと話の通じそうな人となると、どうしても限定された。そこで取り急ぎ、前からご縁のあった京大畜産の西川義正先生(当時京大農学部教授)と吉田重雄先生(当時京大農学部助教授)に相談をもちかけることにした。西川先生は私が畜産試験場に採用されたとうじの上司で畜産人工授精の第一人者、吉田先生は早くから畜産家禽の精子研究に本格的にとりくんでいた方である。直ぐにお二人に賛同が得られ、農学(畜産)分野は吉田先生と私が幹事役を勤めながら、やってみようということになった。

大変なのは医学部分野で、産婦人科、泌尿器科の臨床関係のほか、解剖学など基礎関係の教室でも幅広く精子を扱っていることを聞いていた。どこに話をもっていけばいいのか迷うところだが、“ヒト人工授精”と“家族計画”で名前が知られている慶應の産婦人科なら先ず間違いなかろうと考えた。結果は上出来で、責任者の先生方も快く応じてくれたので、生物系の毛利先生の申し出から始まった、領域を越えた精子の研究集会構想はとんとん拍子で実現することになった。

第一回は毛利先生の所属する東大教養学部の飾り気のない教室を使って開かれ、畜産分野からも将来への期待からか、好奇心からか、学会なみの参加者が集まった。この日は挨拶を兼ねて、理(生物)、医(産婦人科)、農(畜産)の代表者たちが自分の分野の仕事について紹介講演を行った。また、会の性格や運営方法については難しいことは決めず、次のことだけ了承しあった。

  会の名前は堅苦しくならないように当面“精子談話会”とし、理・医・農の3分野の回り持ちで毎年1回開催する。
  幹事は分野ごとに演者、演題(少なくとも1題)をまとめ、当番年度の幹事に連絡する
  会誌、会費はなしとするが、当日の参加者からは次回の通信連絡費として100円を徴収する。
  講演時間は一応20分程度とする。

会を始めてみて、精子研究に対する3分野の取組み方の違いが明らかになった。受精能と運動能をもつ特異な細胞『精子』をめぐって、研究の材料、手法、背景は分野によって異なった。それがかえって参会者の多くに新鮮な印象を与え、講演のあとの論議を活発にさせた。印刷物をつくらない、しゃべりっ放しのやり方 も、会を長続きさせる一因になったようだ。加えて、参会者同士の交流が異分野間の共同研究を推進させたし、この小集団が母体となって、1986年には国際精子シンポジウムを日本で実現させた。

ただ、いいことばかりでもなかった。わが農学(畜産)分野は、卵子関係の研究、技術に目が向けられるに従い、畜産家禽の精子を専門とする人が年々減少し、産業とは無縁の理学、医学分野に比べて演者探しにも人集めにも苦労する時代に入った。しかし、当初に比べて全体的に参会者が減ってきたのを見ると、他分野の関係者にとっても決して平坦な道ではなかったかもしれない。

40年を経た今日ではどの分野も世代交代が進み、幹事も参会者もいわば23世の時代に入っている。だが、この会を続けることの大事さを受け継いだ人たちは、毎年、老舗の固定客のように集まって来る。農学(畜産)分野にも、復興の明るい兆しが見え始めているのを感ずる。本会の名称は、発足後まもなく『精子談話会』から『精子研究会』に改められた。『精子談話会』のままだと、『猥談集会』の印象を与えないか?との心配意見が医学分野の長老から出たためである。また100円ではお茶のサービスもできないと言うことで、現在は500円徴収になっている。スタート時点と変わったことといえば、この名称と参会費の額ぐらいである。
(正木 淳二)

逸話
精子研究会はもとも医学、農学、理学分野の精子同好の士が集まって意見交換をするアットホームな場であったと聞いております。精子研究会の運営にこの雰囲気を残すことは大切だと思っておりました。
*面白い逸話があります。この会の黎明期の名称は”精子談話会”であったようです。ある時、ある偉い先生がこの名称、何か卑猥な事を話し合っているような感じがすると言い出し、皆で考えて精子研究会と名称を変更したそうです。
(久慈直昭)

精子研究会の紹介
精子研究会は、雄性配偶子である精子研究の発展と普及を目的とする学術研究会です。会員は本研究会に出席した大学や研究所、企業、病院等に所属する研究者や大学院生・学部生で構成され、会員数は延べ**名に達しています。会員の専門分野は、理学、農学、医学分野で分類学、系統学、細胞生物学、生化学、生理学、内分泌学、発生学、遺伝学、生態学、行動学、数理学など動物・植物を対象とする生命科学の多くを網羅しています。所属する会員の大学学部をみると理学部、教育学部、農学部、医学部、薬学部、工学部などにわたります。 本研究会の発足は19##年に始まった精子談話会にさかのぼることができます。その後、19##年に精子研究会へと名称を変更、今日に至っています。
本研究会では、上記会員がそれぞれの研究成果を共有し、更なる精子研究の発展・財産とするために、年に一度の学術講演会を東北地区、関東地区、関西地区が持ち回りで**開催をしています。また、1969年に発足し4年に一度世界各国で開催される国際精子学シンポジウム(International Symposium on Spermatology;ISS)***に積極的に参加し、日本では第5回(1986年、富士吉田)、第11回(2010年、沖縄)でISSを主催しております。
(森澤) 

 
発足の歴史参照
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研究集会及びお知らせ参照
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 1st Roma & Siena (1969) B. Baccetti, 2nd Stockholm (1973) B. A. Afzelius, 3rd Boston & Woods Hole (1978) D. W. Fawcett & J. M. Bedford, 4th Seillac (1982) J. Andre, 5th Fujiyoshida (1986) H. Mohri, 6th Siena (1990) B. Baccetti, 7th Cairns (1994) J. Cummins, 8th Montreal (1998) C. Gagnon, 9th Cape Town (2002) G. Van der Horst, 10th Madrid (2006) E. R. S. Roldan, 11th Okinawa (2010) M. Morisawa, 12th Newcastle (2014) J. Aitken 

発足の歴史(正木)参考;正木先生著作

研究集会(毛利)参考;精子研究会開催表


お知らせ(寺田)