2015年8月25日火曜日

「精子研究会」とともに歩んだ半世紀

 私は1958年に東大の理学部動物学科を出た後しばらくして、三崎臨海実験所に助手として赴任しました。そこでは何人もの人たちがウニの卵を使ってさかんに受精や発生の研究をしていました。しかし精子そのものの研究をしている人はいませんでした。そこで誰もやっていないウニ精子の生化学的な研究をはじめたわけです。それは呼吸からはじまって代謝、鞭毛運動のしくみの解明へと発展していくことになります。
 教養学部に移った後しばらくして、私はイタリア、スウェーデン、アメリカに留学する機会をえ、スウェーデンでははじめてウシの精子を使って酸化的リン酸化の仕事をしました。そこで1964年に帰国した時に、ウニ精子の運動関連タンパク質(チューブリンやダイニン)の研究と並行して、家畜精子での仕事を継続したいと考えました。ケンブリッジを訪ねた時にお世話になった精液の生化学で有名なタデウス・マンさんに、わが国で哺乳類の精子の代謝をやっている人を知らないか問い合わせたところ、当時千葉の畜産試験場におられた正木淳二さんを紹介されました。正木さんは少し前にマンさんのところで仕事をされています。こうして私の畜産試験場通いが始まり、後に正木さんたちとも共著論文を出すことになります。
 当時私は助手から助教授になったところで、研究費には恵まれていませんでした。そこで、それならば精子の研究をしている人たちを集めて総合研究を申請できないものかと思案しました。それにはまずそういう人たちに集まっていただいて、おたがいに話を聞くことから始めなければなりません。正木さんに相談したところ、畜産関係では馬の精液の研究で有名な京大の西川義正先生のところ、医学関係では凍結精液のことで西川先生と関係のあった慶応大産婦人科の飯塚理八さん(当時助教授)のところに声をかけて下さいました。
 こうして1965年に第一回の「精子研究会」が、私のおりました東大教養の一教室で行われることになりました。呼びかけ人は正木さんと西川先生のところの助教授をされていた吉田重雄先生です。西川先生の後をつがれることになる入谷明さんや千葉大解剖の永野俊雄さんも参加されました。各分野の演者は理学関係が先体反応の発見者である團ジーン先生と私、畜産関係が西川先生と正木さん、医学関係が飯塚さんでした。ただし翌年慶応大で行われた第二回まで看板は「精子談話会」でした。ここら辺からは正木さんが書かれた「発足と歩み」に詳しく述べられていますので適宜省略します。同年畜産試験場で行われた第三回から正式に用いられることになる「精子研究会」という呼び名を勧めてくださったのは、飯塚さんのところの安藤画一教授でした。わが国におけるヒト人工授精のパイオニアです。
 ご存知のように、「精子研究会」はその後も学会のかたちをとることなく、最初に話し合われた通りに、各分野から選ばれたそれぞれ二、三人の演者の話を聞いて、皆で率直に意見や質問を出し合い学び合う場としてじつに半世紀も続いてきました。専門も泌尿器科や水産学科など各分野に広がっています。これほど続くとは当初まったく予期もしなかったことで、まことにおめでたいことですが、これも歴代の各分野の幹事の先生方のご努力の賜物と心から御礼を申し上げたいと思います。この間に培われた仲間意識の御蔭で多くの共同研究が行われ、また1986年と2010年には、それぞれ私と三崎臨海実験所の名所長であった森澤正昭さんの主催で、富士吉田と沖縄で第五回と第十一回の「国際精子シンポジウム」が開催されました。「精子研究会」のメンバーの方々の、シンポジウムへの参加を含め、物心両面にわたる御援助に対しては感謝してもしきれぬものがあります。
「精子研究会」としてこれまで独自に雑誌も本も出したことはありませんが、1972年には『哺乳類の精子』(学窓社)が西川先生の監修、静岡大の飯田勲先生の編集で出版され、私も著者に加えていただきました。また1992年には『精子学』(東京大学出版会)が私の監修、森澤さんと東京工業大の星元紀さんの編集で、2006年には『新編精子学』が私と星さんの監修、森澤さんと山梨大の星和彦さん、大阪大の岡部勝さんの編集で出版されました。著者の多くは「精子研究会」のメンバーの方々です。それぞれの「国際精子シンポジウム」のProceedingsも出版されています。古くからのメンバーの一人であるハワイ大の柳町隆造さんが、1996年に生殖の生物学の分野で国際生物学賞を受賞されたことも喜ばしいことでした。
 私はその後「精子研究会」のご縁で日本不妊学会(現日本生殖医学会)、日本アンドロロジー学会、日本受精着床学会、日本生殖免疫学会などに関わることになり、後の二学会では理事長を、後の三学会では大会会長を務めることになりました。自分の本拠である日本動物学会で理事長(会長)や大会委員長を務めたこととともに、たいへん名誉なことと思っています。また科研費で精子の総合研究を立ち上げるという初期の目的は、当時のそれぞれの分野の事情もあって果たせませんでしたが、後にアンドロロジー学会を立ち上げられた埼玉医大学長の落合京一郎先生のご要請を受けて、1985年に総合研究(B)「生殖系列の人為調節に関する基礎研究」を、また京大産婦人科の森嵩英さんたちとともに、1988年からは4年にわたる重点領域研究「生殖系列の分子機構に関する基礎研究」を発足させることができ、わが国の生殖医学・生物学の発展にいささかの貢献をさせていただきました。
「精子研究会」はきわめてルーズな集まりですが、そこでの交流はある意味で学会などよりも濃いものがあったのではないでしょうか。それが会を今日まで半世紀も存続させてきた原動力になっていたように思います。私も精子につて多くのことを学び、また生殖現象全体に視野を広げることができました。今後も「精子研究会」が、基礎、応用のへだてなく、精子に関連する研究をする人たちが気楽に参加できる集まりとして続いていくことを祈っています。